長女が自分で「みかん」を剥いた日

いつも一緒だからこそ、ちゃんと見ていないと見落としてしまうものがある。
日常とは、気づけない変化の連続だ。

例えば今日、一体どんな変化に気づいただろうか?
私が感動したのは、大好きなミカンを持ってきて、自分で剥く長女のかにみの姿だった。

かめこの食べ方を真似るように、ティッシュを出して丁寧に剥いていく。
まだ千切りながらだけれど、小さな手は着実に新しい事ができるようになっていた。

ちゃんと見ていなければ、通り過ぎてしまう「変化」。

新しい事ができるようになったね。
新しい言葉が言えるようになったね。

一つ一つ、できるだけ感じ取って、できるならこの目で確かめていきたい。

私は「当たり前」と言う言葉が大大大大、大嫌いだ。

当たり前?それはお前のモノサシだろうが、と、私は常々思うのだ。
人によって、モノサシは違う。
だから、当たり前なんてのは、ただの価値観の押し付けでしかない。
その言葉には、愛が無いんだ。

一つ一つ、変化があって、できるようになって。
出来なくなる事だってあるだろう。
できそうだけど、諦めてしまうことだってあるかもしれない。

でも、そこで「そんな事出来て当たり前だ」とか「他の子は出来るよ」なんて、口が裂けても私は言わない。

愛とは、赦す事だ。

赦せないのは、誰よりも自分が弱いからに他ならない。
だからこそ、私は誰よりも愛する人を赦せる人でありたい。

一つ一つ、小さな変化をこれからも喜んでいきたい。
我が子の「できたよー!」を、沢山見ていきたい。

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