子供の「したい」と「できた」を大切にする親でありたい

できるだけ、時間が作れる休日は家族で散歩に出るようにしている。
用があろうが無かろうが、家でごろごろするんじゃなくて外に出る事の大切さを、私は知っているらだ。

近所にある公園に連れて行って一緒に遊ぶわけだけど、最近ではブランコに一人で座れるようになってきた。
といっても、足が届かないので座ってゆらゆらするだけ。
それでも本人は「できた!」という気持ちがあって、嬉しいようだ。

私は、子供の「したい」と「できた!」を大切にしたいと考えて接するようにしている。
親の考えを押し付けるのは簡単だ。

あれはダメ、これはダメ、これはし「なくちゃ」ならない。
本当にそうなんだろうか?

それは、誰が決めたの?

それは親の経験と育った環境が作り上げた感覚。
私が子供と同い年だった頃と今は30年も差があるのだから、色々なものが変わっていない方が不自然なのだ。

人の「親になる」には、私はまずそれを疑う事が必要だと考えている。
そのためには、子供の気持ちを感じて、受け止めて、後は見守ること。

子供の変化は早い。
前は好きだったものを怖がるようになったり、逆に楽しむようになっていたり、それは気まぐれなのではなく、育ってきたから。
体が育ったのかもしれないし、心が育ったのかもしれないし、その両方かもしれない。

ビビらなくていい、素直に感動して驚いていればいい。
だから、私は我が子の「できた!」を聞いたら抱きしめて、一緒に喜ぶのだ。

私自身も、わが子の成長に合わせて変化していかなくては。
子の成長を知ることは、同時に自分自身の背中を押されているような思いにもなるのだ。

駅前でのランチタイム。
白米大好きっ子のわが子は、私の分までご飯を奪い取っていく…
しっかり食べて、大きくなれよ!

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