祖母の卒寿をお祝いした話

私の祖父母のうち、唯一元気でいてくれているのが父方の祖母だ。
大正15年(昭和元年)生まれの、御年90歳。
お正月には親しい親戚が会するので、その時に卒寿のお祝いをしようという話になっていた。

卒寿とは?

卒寿とは、「卒」の略字である「卆」が漢数字の「九」と「十」に見えることに由来しています。
長寿のお祝いで、おそらくもっとも有名な還暦は「赤」がお祝いの色ですが、卒寿の色は「紫」。
古希や喜寿と同じですね。

それぞれが、祖母を思ってプレゼントを用意した

さすがに頭巾とちゃんちゃんこは良いだろう、という話になっていたので、
それぞれお祝いのものを持ち寄ることに。

私たちからは、田舎の寒さの中でも大好きな土いじりができるように、暖かい服をプレゼントした。
親戚たちからは、便利の良い財布や、えりまき(ストール)、カバン等様々。
一つ一つ封を開け、取り出すたびに嬉しそうに笑う祖母のしわくちゃの笑顔が、孫の私はとても嬉しかった。

私は、もう一つプレゼントを用意していた。
それは、祖母が生まれた日の新聞記事。

今はインターネットで「誕生日新聞」なるものがサービス化されており、
版が残っているものについては注文・プリントしてくれるというサービスで、
実はコンビニの複合機でも印刷できたりする。

親戚の中でこれを思いつくのは多分私しかいない、と思ったので用意しておいたのだ。
残念ながら、祖母には「字が小さくて読めない」と笑われてしまったが、
むしろ父やいとこ達が珍しがって目を通していた。

大正15年といえば、テレビではなくラジオの時代。
また、戦争の記事が載っていたりと歴史的にも今と全く違っていたことが書かれていた。

私自身も目を通してみて、祖母がどんな時代に生まれた人だったのかを少しだけ知れた気がした。

みんなのお蔭でこれまで生きてこれた、と祖母は言った

プレゼントを受け取って、祖母は私たちに頭を下げて言った。
みんなのお蔭でこれまで生きてこれました。
これからも、どうぞ宜しくお願いします、と。

それはこっちの台詞だよ、ばあちゃん。
ばあちゃんのお蔭で、私は生きてこれたんだよ。
感謝しても感謝しきれないよ、私は、ばあちゃんが大好きだから。

これからも100歳といわず、元気で長生きしてください。

祖母は言う「あんたを目標にして、長生きせんにゃらんと思とんじゃって言われるんじゃ」と。

あなたを目標にして、長生きしないといけないなぁと思っているのよ、って言われるの。
そう言って、祖母は笑った。

写真を趣味にしていて本当によかった

大好きな祖母の記念の日に、祖母が大好きなひ孫(長女のかにみ)と一緒に写真を撮る。
室内は暗いと解っていたので、スピードライトを使って撮った。

子供がいい笑顔を出すようにと思えば、親がシャッターを切るに越したことは無い。
お蔭で、祖母とかにみが満面の笑みで笑いあう写真が撮れた。

プリントした写真は、またフレームに入れて居間に飾られることだろう。
そんな写真を撮れるとき、私は心から嬉しいと思うのだ。

次は白寿!

まだまだ元気な祖母。
次は白寿のお祝いができるように、ずっと長生きして下さい。

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