父親が子供の躾をするために大切な、10のこと
躾(しつけ)、とは何だろう。
親なら必ずと言ってもいいほど、悩むテーマだ。
私は、子育ての中でこの「躾」を重要視している。
辞書を引くと、躾とはこう書かれている。
礼儀・作法を教え込むこと。
辞書には躾の意味は書いてあっても、当然躾の方法は書かれていない。
昨今ニュースで耳にする痛ましい、親や周りの大人が起こす犯罪行為は、
本人や周りの大人が躾の方法を知らない(あるいは躾けられなかった)のだろうなと思うのだが、
父親にとって我が子の躾は子育ての姿勢を決める重要なことだ、と私自身は位置付けている。
そこで、私が躾について大切にしている10の事を紹介します。
私の躾10箇条
躾について、私が大切にしていることを10箇条にすると以下のようになる。
- 自分の常識を押し付けないこと、強要ではなく、会話すること
- まずはお手本を見せ、手順を丁寧に説明すること
- 挑戦している様子を見守ること
- できたら必ず褒めること
- 失敗を責めない事、蒸し返さないこと
- 「叱る」こと、「怒らない」こと
- 早さを求めないこと
- 危険行為は「すぐに、真剣に、丁寧に」叱る事
- 言わなくてもできるまで、1~8を根気強くつづける事
- 自分自身を正すこと
自分の常識を押し付けないこと、強要ではなく、会話すること
私が今まで生きてきた中で、納得いかないことの一つが「他者の常識を押し付けられること」である。
それはあなたの常識であって、私の常識ではないし、あなたの生活圏外の人たちの非常識かもしれないからだ。
なぜ、それをさも正しいかのように押し付けられなくてはならないの?と納得がいかないのだ。
それは、子育てにも当てはまる。
私は1982年生まれだが、例えば長女は2013年生まれだ。
生まれた時代には31年もの差があり、その間に多くのものが変わっている。
私が子供のころに受けた教育は全て「過去のもの」であり、
今現在「親」となったからには、「今はどうなのか」を理解する努力をした上で、
自分が親としてどのように育てたいのかをふまえた取捨選択をする必要がある。
重要なのは「私の常識」でも「あなたの常識」でもなく、
「子供が将来どんな人間に育ってほしいか、そのためにはどう行動すればよいのか」というただ一つのみ。
そこに、私含めて過去の教育を受けた人間の常識など、参考程度にしかならないのだ。
躾の第一歩として、私は「過去は過去として受け入れ、親の考えこそ前を向かなくてはならない」と考えている。
まずはお手本を見せ、手順を丁寧に説明すること
子供は0からのスタートだ。
そこには、成功体験も失敗体験も、先入観も無い。
いきなり「○○しなさい」と言われたところで、知らない事はできない。
まずは「知らない」から「知っている」に変えていく必要がある。
だから、まずはお手本を見せる。
お手本を見せて、こうするんだよ、と教える。
3歳にもなれば、自分なりに理解してやってみようとしてくれる。
やってみようとする、は大切な第一歩だ。
挑戦している様子を見守ること
お手本を見せて、手順を説明したら、すぐに「させて」みる。
やっている間は口出ししない。見守る事に徹底する。
その子がやり終えたと思うまで、思うようにさせる。
そこには2つの理由がある。
一つは、教えたことが理解できているかを確認するため。
もう一つは、子供が正しいと思ってやっているのに、途中で水を差すとストレスだからだ。
躾に大切なのは「これは嫌なこと」と思わせないこと。
嫌なことをさせようとする人間のいう事を、ましてや子供が、なぜ聞くというのか。
できたら必ず褒めること
日本人は褒めない。
本当に褒めない。
私は、褒めないやつが嫌いだ。
悪いところを批判して、勝った気になっている馬鹿親からは即時脱却しなくてはならない。
大切なのはモチベーションを上げる事であって、下げてどうするんだ。
だから、私は褒める。
私がやっているのは、例えば「おかたづけ」の時は「どれどれタイム」というのがある。
長女が「お片付けできたよ」というのが合図で、私は「どれどれ~?」と言って片づけた場所を確認する。
できていたら、褒める。
すると、長女はにこーっと笑っている。
「楽しい、嬉しい」というモチベーションに、子供はとても純粋に反応する。
失敗を責めない事、蒸し返さないこと
なんでできないの!
なんでいう事が聞けないの!
前だって、全然できなかったじゃない!ほんとにあんたは…(ネチネチ)
お前は馬鹿か。
いい大人が集まる会社でさえ、5Sの「躾」が浸透するには数年を要すると言われている。
それを、何たかが数回、数か月でやった気になってんだよ。
しかも子供相手に、恥ずかしくないのか。
失敗しても、絶対に責めない。
ただし、教えたことと違う事をしていたら、もう一度「説明」はする。
私は子供を攻撃したいのではなく、笑顔にしたいのだ。
「叱る」こと、「怒らない」こと
似て非なる2つの言葉、その違いは何だろうか?
「叱る」は利他的
「怒る」は利己的
これに限る。
「叱る」は、相手にとってメリットがあるように、言って聞かせること。叱るの主語は「あなた」だ。
「怒る」は感情であり、他人には理解できないもの。怒るの主語は「わたし」だ。
怒るのは簡単だ。
自分の怒りを表に出して、わめき散らせばいいのだから。
ただ、残るのはその場にいる人へのストレスと、躾の停滞・後退だけだ。
叱るのはとても、とても難しい。
かなり頭を使うし、言葉も選ばなくてはならないし、相手によって変えなくてはならない。
叱る時に感情をぶつける必要はない。感情を伝える事は必要だが。(パパは今怒っているよ、今悲しい気持ちになったよ など)
怒りそうになったら、深呼吸して最初の一言目を必ず「選ぶ」こと。
「私は今怒っている」と自覚できれば、「躾」と「実際の行動」が乖離しようとしていることに気づけるはず。
早さを求めないこと
私は「早くしなさい」とは言わない。
あなたはもしかしたら、何をするにも「早い」人かもしれないが、そんな事はどうでもいい。
子供は自分ではない、全く別の人間だからだ。
早さなんてものは、後から付いてくるものだから、最初から早さは要求しない。
あなたが早くできる事と、子供が早くできるかどうかは全く関係ない。
危険行為は「すぐに、真剣に、丁寧に」叱る事
例えばケガをするかもしれない事、他人にケガをさせるかもしれない事、ケガでは済まないかもしれない事をした時。
そういう事は、すぐ、真剣に、そして丁寧に、叱る。
絶対に、叱ることを怠けない。
幼い子供のいのちを守ることは、親の役目だからだ。
言わなくてもできるまで、1~8を根気強くつづける事
躾のポイントは、すべてここにある、と私は考えている。
「躾」ができたかどうかは、「言わなくても自発的にできるようになった」かどうかが判断基準だ。
そのためには、根気強く繰り返し続ける以外に道は無い。
機嫌が悪くて上手く行かない事もあるだろう。
親がしんどくて、上手くできない時もあるだろう。
前はできたのに、急にできなくなることだってある。
諦めるのは、親の方だ。
子供は子供なりに頑張っていて、それを受け入れ、認めてあげて、あとは続けるだけ。
早い子、遅い子、いるだろう。
「あの子はできるのに」と思うかもしれない。
他人なんてどうだっていい、自分の子供の事をしっかり見て、理解する努力をし、繰り返すしか無いのだ。
自分自身を正すこと
親である自分自身が、まずは背筋を伸ばさなくてはならない。
子育ては自分を正すきっかけであり、子育てを通じて自分の至らなさを教わることが沢山ある。
育ててやっている、と傲慢になってはいけない。
私自身も同じように、子供から様々な気づきをもらっているのだ。
子供の為にも、自分を「正し」続ける。
こんなに素晴らしい先生は、世界のどこにもいないだろう、と思う。
さいごに
子供の躾は簡単ではないし、頭を使いますが、一緒になって「挑戦」するのは楽しいものです。
躾をすることが楽しくないのなら、親がまず方法を見つめ直した方がいいのではないかと思います。
今日も明日も明後日も、我が子と一緒になって一歩一歩前に進むことを楽しみます。
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