30歳代で椎間板ヘルニア(中心型)で入院した体験談
私が二度と経験したくない事の一つ、それが椎間板ヘルニアによる入院。
この記事は、私が椎間板ヘルニアで身動きが取れなくなり、救急搬送され、10日間の入院生活を送ることになった時の経験談です。
20代~30代で腰痛がある人の参考になればと思い、残しておきたいと思います。
2018年の夏、それは突然起こった
2018年の夏。
何気ない、ごく普通の休日を過ごしていた日の夜、「それ」は突然襲ってきました。
リビングでいつもの通り座り、お風呂を溜めようと立ち上がろうとした時、いわゆる「ぎっくり腰」のような痛みが腰に走りました。
「あ、やっちゃったかぁ。」
数年前から毎年腰痛に悩んでいた私は、ぎっくり腰の痛み自体には正直慣れていました。
すぐに安静にして処置しよう、と思った矢先…
「待って、嘘でしょ…」
痛い、痛い、痛い!!!!!
私の経験上、ぎっくり腰の痛みは「一撃」です。
それが終わらない。
私の知っているぎっくり腰は確かに激痛ですが、でかい一撃が腰に走って、それからズキズキと痛み、しばらく動けない状態になるはず。
勿論そんな経験はありませんが、例えるならば、腰を背後から何度も何度もアイスピックで突き刺されるような激痛。
そして、その前触れともいえる「迫ってくる気配」が分かるという感覚。
あまりの痛みに、私は床に倒れ込み、動けなくなってしまいました。
痛みで身動きが取れない中、容赦なく襲う激痛が、何分間も、何度も、腰を抉るように突き立てて来るのです。
収まったと思うと、また気配が現れて、いつ終わるとも分からない激痛が、幾度となく続く状態。
さすがに、正気ではいられませんでした。
私の人生で経験したことの無い激痛が、逃れる事を許さない痛みが、もはや恐怖さえ感じるほどの勢いで襲ってくる。
人生で初めて「痛い!!助けてくれ!!!」と叫びました。
ある程度の痛みなら耐えられる自信がありましたが、この世のものとは思えない痛みでした。
さすがにおかしい。
これが「ぎっくり腰」なわけがない。
しかし、明日は仕事がある。
腰痛で出勤できません、なんて言う訳にもいかない。
思い返せば、この時私の体は数か月続いた長時間労働で疲労が溜まっており、それが原因でこの状態になった可能性があったのですが、
残業が当たり前だった当時の私は感覚が麻痺していて、腰痛で休むなんてあり得なかったのです。
ただならぬ私の様子に、家族の説得もあって救急車を呼ぶことに。
文字通り、全く身動きが取れない状態なので、倒れ込んだ状態のまま救急車を待つことになったのでした。
救急搬送されている間も地獄でした。
自動車というのは前後に進みますが、搬送されている私は寝転んでいます。
つまり、ブレーキがかかると慣性で私の体は縦に押される形になるんですが、これが腰を圧迫して激痛が走る。
ブレーキを踏むたびに激痛が走るのを見た救急隊の方が私の体を起こして下さり、結果的には座った状態で搬送して頂きました。
搬送先の病院で、自分の体の状態を思い知ることになった
搬送先の病院に運び込まれると、待機していた医師の方々が私の状態を確認します。
私は「ぎっくり腰」だと思っているのでそのまま伝え、かなり強めの鎮痛剤を投与してもらいました。
じきに効くはずだよ、と言われ、これで家に帰れると思いましたが…
鎮痛剤が全く効かない。
嘘でしょと思うほど、効かない。
お医者さんが強めの鎮痛剤と言うくらいですから、しっかり痛みを止めてくれると思ったんですが、止まるどころかマシにすらならない。
看護師の方と話しながら、何とかベッドから降りようとするものの、上半身を起こせない。
寝返りもろくにできない。
まだ30代前半の話ですから、私はそんな自分が情けなくなりました。
こんな痛みに負けていられるかと思う心に対し、動いてくれない体がまるでそれに抵抗しているようで、悔しかったのを覚えています。
それでも家に帰って明日仕事に行こうとしていたので、今思えばどうかしていたと思うのですが、
当時お医者さんに「もう無理だよ、無理に帰ってもまともに動けないんなら、入院した方がいいよ」と呆れられるほど、私は何とかして帰ろうとしていました。
私が帰ろうとしたのには、大きく2つの理由があったからです。
一つは、仕事に穴を空けられないと思ったことですが、それよりも大きい理由は、家族に迷惑をかけたくないからでした。
私はこの家にとっては大黒柱ですから、「入院」という言葉に酷く抵抗があったのです。
入院すれば、仕事にも行けないし、お金もかかるし、時間もかかります。
たかが腰痛で、そんな様々なものを奪われてたまるものか、と正直思っていました。
しかし、現実は残酷です。
救急搬送されて、自力で帰れなければ入院するしかないんです。
そして、入院するということは、退院するタイミングは患者ではなく医師が決めるのです。
見方を変えれば、入院することで過酷な労働から解き放たれるきっかけが与えられたのですが、当時はそう前向きに捉える事ができずにいました。
起き上がることすらできないまま、妻と心配そうにしている子供たちに申し訳ないと思いながら、結果私は入院することになりました。
急な入院でしたから、その夜は少なからず騒がしい患者たちとの相部屋で一晩を過ごしました。
腕に巻かれた患者識別用のバンドを眺めながら、あぁ、本当に入院なんだな、と思い知らされた夜でした。
どのみち繰り返し襲ってくる痛みで寝られないので、色々な事を考えました。
寝たのか起きているのかよく分からないうちに、外では鳥が鳴き始めていて、あぁ朝になったんだな、と思った事を覚えています。
ほどなくして看護師の方がやってきて、別の部屋に移る事になったと告げます。
起きて動けるかと聞かれるも、相変わらず寝返りすら打てないので、ベッドのまま移動することになったのでした。
私の場合は、中心型椎間板ヘルニアだった
人生初のMRI検査などを経て、医師から告げられた病名は「中心型椎間板ヘルニア」。
医師曰く、椎間板ヘルニアには3段階の状態があるんだそう。
- 療養とリハビリで良くなるレベル
- ブロック注射が必要なレベル
- 手術が必要なレベル
私の場合は1らしく、ブロック注射は必要ないだろうとのことで、痛みが引くまで療養しつつ、リハビリをして歩けるようにしていきましょうとのことだった。
病状が分かれば後は闘うだけなのだが、私の状態は酷いものだった。
そもそも立ち上がれるようになるまで数日かかった
まず、立てない。
検査が終わり、病状がハッキリすると看護師さんたちが医療用のコルセットを持ってきて着けて下さったのだが、それでも立てない。
なにせ、正しい姿勢になれない状態で腰から足にかけての筋肉も委縮してしまっているので、腰を立てて膝をまっすぐにすることができない。
人生で初めての車いす生活である。
行動の制限は無かったので、自力で動ける範囲なら移動しても良かったのですが、
病院内にある売店に行ったりするのも、トイレにいくのも、すべて車いすでなければ移動できない。
何しろ立ち上がれないのだ。
日常的に当たり前にできていることが出来なくなる苦しさを、ほんの数日だったが思い知らされた。
また、病院の中だから車いすが通れば他の方が気にして下さったが、これが果たして街中だったらどうだろうかとも考えさせられた。
売店で品物を取ろうとしていたら、取りましょうか、と親切にして下さったご婦人に、この場を借りてお礼を申し上げたい。
結局、車いす無しで自力で立てるようになるまで、数日を要したのでした。
入院して、手すり無しで歩けるようになるまでに一週間かかった
看護師さんと笑い話で話していたのは、立てるようになった後しばらくは、ぎこちない人型ロボットみたいな歩き方だったこと。
病院内に設置されている手すりを辿りながら、ゆっくり、ゆっくり歩く状態。
歩くリハビリには痛みが伴うのですが、自分が何の病気なのかが分かっているという事は原因も分かっているので、痛みへの恐怖は無くなっていました。
リハビリして体の調子を戻していけば、徐々に痛みもマシになる。
そう信じて、痛くても我慢して歩き続けました。
朝起きて、歩く。
リハビリ治療を終えたら、歩く。
お昼を食べて、歩く。
一休みして、歩く。
夕食を食べて、歩く。
同じ廊下を、何度も何度も、毎日歩き続けました。
結局、立つことさえできない状態から、ある程度歩けるようになるまでに、丸一週間を要したのでした。
それでも、医師からは回復が早いと言われていたので、年齢的なものもありながら、痛みに耐えて歩き続けた結果が出たと思っています。
この頃、私は医師に早く社会復帰したい事を伝えました。
もう少し様子を見て、退院の日を決めましょうという話になり、結果的には入院して10日後に退院することに決まりました。
しかし、まだ治療は終わりません。
やっとある程度歩けるようになり、自宅での生活に支障が無くなったというだけで、仕事に復帰するには不十分な状態だったからです。
退院しても腰痛とは一生付き合うことになる
医師から教わったリハビリとストレッチを続けながら、退院後も療養を続ける事になり、
結局職場復帰したのは入院してから3週間後の事でした。
入院の際に身に着けていたコルセットと湿布薬で違和感なく生活できるまでには、結局1か月以上はかかったので、
思い返せば重症でした。
医師も言っていましたが、こうなるともう腰痛は一生もの。
あとは死ぬまで上手く付き合っていくしかありません。
入院した時期が悪く、高額療養費の軽減は対象外だった
これは個人的にショックだった、というかしまった!と思った部分。
私が住んでいる大阪市では、高額療養費の自己負担額を軽減する制度があるので利用したかったのですが、
条件は「同じ月の」なんですね。
つまり、月をまたいで入院した場合、合計額が条件を満たしていても、月内での負担額が条件を満たしていなければ対象にはならないんです。
私の場合、実は前月の月末~翌月の月初にかけての10日間だったので、負担額はそこそこあったんですが、月ごとで見ると
どちらも条件を満たしていないという悲惨な状況に。
医療保険があるのである程度は戻ってきたのですが、私の場合は赤字でした。
緊急事態ですから入院する日を選んでいる場合では無いんですが、そういう現実があるという事も書き残しておこうと思います。
有給は吹っ飛ぶし、入院時期が悪いしで踏んだり蹴ったりでした。
まだ軽微な腰痛で済んでいるなら、こうなる前に対処した方が良い
私の場合、数か月続いた長時間労働と、疲労に伴う姿勢の悪化、そして睡眠不足が原因だったと思っています。
いわゆる「骨盤が前に傾く」状態で、坐骨ではなくお尻でだらしなく座っている状態が続くと、腰の本来負荷がかからない部分に負荷がかかり、
それが原因の一つとなって椎間板ヘルニアを引き起こしてしまいます。
私の場合は、退院後に骨盤をサポートする椅子を使ったり、特に下半身のストレッチを行うなどして、
退院して1年以上経つ今でも腰のケアに気を使っています。
そのおかげか、毎年冬になるとやってくる腰の痛みも随分マシになりました。
もし、私と同じくらいの年代で、ぎっくり腰が毎年続くとか、冬になると腰が痛むとか、長時間労働で腰が重いとか、
そういった違和感があるなら、軽視しないで一度医師に診て頂いた方が良いと思います。
腰は一生使う重要な部分ですし、痛めると本当に何もできなくなりますので。
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